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我が妻がガンになりました。 [我が妻が癌になった。]

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2019年12月1日22時過ぎ。


「明日のみんなへの挨拶。練習しないと・・・は〜・・・ドキドキする。昨日もよく寝られなかった。」

「いや、それはドキドキするっていうより、ワクワクするだろ?小学生が遠足に行く前の日みたいな。毎年のJoy耐の前の日みたいな。」

「う〜ん。だいぶ違うかな。会社だし。」

「変だね。私なんて、今年のお盆明けに”やっと会社に来れたああ〜!”って言ったら、隣の席のやつに”気持ち悪い。”ってはっきり言われたよ。みんな、照れちゃいけないな。嬉しいことは、嬉しいって、はっきり声に出して言わないと。」


「うん。あなたのことはどうでもいい。挨拶文を・・・」

「違うぞ。みんな、つまらん朝礼なんて、さっさと終わりにしたい。それに合わせないとダメだよ。」

「うん。」

「さあ、じゃ、まず左手を腰に。右手を思いっきりあげるんだ。」

「こう?」

「よし。で、360°ターン!ちょっと!なんで倒れるの!ちゃんとクルッと回って。」

「無理。怪我する。」

「まあ、とにかく回って。ゆっくりでいいから。はい。回ったね。よ〜し。そうしたら、上げていた右手でVサインだ。」

「うん・・・」

「で、そのVサインを右目に当てて、こう言うの。」

「みんな!待たせたね!私、今日から復帰よ!みんなで年末商戦勝ち抜きましょうね!!!」

「え〜・・・・」

「あのねえ。挨拶なんて一言でいいんだよ。誰も聞いてないんだから。」


なんの話をしているのかというと・・・我が妻が、半年近く仕事を休んでました。舌癌で。

ああ、大丈夫ですよ。年末商戦スタートのこの時期に仕事に復帰できています。

で、まあ・・・自分の体験を記録に残しておきます。


時間を遡ると・・・この春のことです。

ず〜と言っていたんです。我が妻が。

「なんか口の中が痛い。」

「あ〜そう。病は気のせいだからね。」


なんだかね。こう・・・口を大きく開けて、鏡を見ている日が増えたんですよ。

一番最初にそんなことを言い出したのは・・・思い出せない・・・2018年にはそんなことを言っていたような・・


とうとう、スターレットの整備の時に使うLEDライトまで持ち出して、自分の口の中を見ようとしている。

どうも、ブリッジをした歯の周辺が痛いらしい。


前々から言ってはいたんです。「歯医者を私と同じところに換えなさい。腕が立つ、いい先生だよ。」

全然言うことを聞かなくて・・・と思ったら、ある日のこと。

「明日、口腔外科がある病院に行ってみる。」

どうも、iPadAirを使って、いろいろ自分で調べたらしい。まあ、いいんじゃない。そんなに心配なら。


そんなことを言っていたのが・・・Joy耐のエントリー締め切りのあたりだったか・・・まあ、なんだかずっと口内炎の薬を使っていたのは、気になっていたんだけどね。


で、初めて行った口腔外科で・・・変な話が始まった。

「舌にでき物があります。念のため、精密検査をしましょうね。」

まあ、それでも・・・この辺りでは、「ふ〜ん。」って感じだったんです。

で、その精密検査の結果が出たのが、私の母上様が亡くなった日。(&Joy耐2019ウイーク)


「舌癌の疑いあり。国立の施設を紹介するので、そこで再度検査して欲しい。」


なんて言うかね・・・ここで自分の中では、スイッチが切り替わったというか・・・ヤな言い方だけど。

「死んだ人より、生きている人。」


母親は、ステージ4の胃癌でした。(おかしいと思って、姉が連れて行った病院で、本人目の前でズバッと言われた。高齢者になると、そんなものなんだそうです。)


2018年の梅雨時に発覚した時に「もう、そう長くないな。」と覚悟したんです。元々・・・「あとどれぐらい、一緒にいられるんだろう」と時々思っていたので。


「がんって、そんなに悪いことばかりじゃない。」とも思いました。親族全員で、「その日」に備えて、粛々と準備を進めることができました。

まあ・・・2018年の正月にご飯が食べられなくなっていた母を見て、おかしいとは思っていたので・・・もっと強く病院に行くことを勧めるべきだった。とか、なんで父親は気がつかなかったんだ。とか、いつも行っていた病院では、でき物があるのを把握していたのになぜ精密検査をしなかったんだとか・・・後悔は色々あった。


なので、完全にスイッチが切り替わってしまった。

「後悔はしないようにする。急いで対応しないと。」


忌引きで会社を休みにできたので、葬儀を出した次の日には、我が妻を連れて、紹介された国立の施設を訪問しました。


診察開始時間の2時間前には、玄関前に到着したのに・・・もう、受付には人が一杯。

普通の病院と違うのは、なんていうか・・・みんな整然としている。

受付時刻になって、みんな、粛々とそれぞれの受付や、機械の前に立ってる。なんか・・・こういうものなのかね。「もう、ジタバタしたってしょうがない。」って思うと、みんなこんな表情なのかな。


順番が来て、これからどのように診察を受けていくかの説明をされたんだけど・・・

最初に何か・・・本を渡された。

「病気によるうつ病発症について」


あ〜・・・

いや、まあ・・・私の職場は、そんな人たちがたくさんいるのだ。なのでまあ・・・我が妻が似てるなあ・・とは、思っていたよ。うん。思ってた。様子がおかしいの。


まいった。


その後、検査の結果が出るまでの2週間ほどの間で・・・我が妻は、何かの拍子に深いため息をついたり、深い深呼吸をするようになった。多分、本人は何も意識しないでやってる。

仕事を休んで、家にいるようになったんだけど・・・布団から起きて、何かゼリーみたいなものを食べた後、(口が痛いから、固形物を食べたくないらしい。)ずっとテーブルの前でじっとしているらしい。


iPad AirやiPhone SEのような情報機器を渡しておくんじゃなかったとすごく後悔しました。


今は、「体験記」を簡単に入手できてしまうんですね。

日がな一日、それらの体験記を読んで、ますます深呼吸をするようになった。


再検査の結果は・・・「舌癌」どうもステージ1らしい。


私は、「ガンなんて、切れば治るんだろう。」って思っているんです。

なので、なんていうか・・・「ああ、そう。じゃ、入院だね。」って感じだったのですが、我が妻は、「手術が怖い。」の一点張り。


そんな話を保険屋さんにすると、「先端医療特約がつけてありますから、執行できるように施設をご紹介しますよ。」って言ってくれたのに「やらない。切る。時間がかかる治療はしない。」


ああ、そうですか。


なので、病院に突っ込みに我が妻を連れていくと・・・

「入院までに1ヶ月半はかかります。」


え〜とね。

無理。我が妻のこの様子だと、多分癌じゃない方面で、ますますおかしくなる。1ヶ月半待っているうちに。


「みんなと一緒の病室は嫌。個室にしたい。」

「ああ、そうだね。そうしなさい。」(母親の時もそうだった。救急車で運ばれた後、数時間後には、父親の判断で、個室に移された。女性だけの病室だと、訪問者も入院されている人々もお互い気を使ってしまう。)


「個室、グレードが4つもある。一番下のやつだと、緊急用だから、なかなか入れないかもだって。個室だと、保険で賄えない。どうしよう・・・」

「違う。上から3つで入りたいと言いなさい。人は金で動く。それ以外の理由はない。


その後が速かった。というか、我が妻が自分で、「口腔外科のある病院に行く。」と決断してからが速かった。今、振り返ってみると。


飛び込みで口腔外科のある病院へ(2019年GW頃)


精密検査を勧められる


検査の結果、国立の施設を紹介(2019年梅雨時)


紹介状を受けてくれて、診察を開始。舌癌決定。


入院の事前説明を受けて、2日後には、入院。


3日後に手術成功。


その後、2週間弱で退院。


Joy耐1ヶ月後には、退院できていたんです。ものすごいスピード。

「入院できるまでに1.5ヶ月かかる。」って当初の説明はなんだったんだろう・・・とも思うんだけど、我が妻は、自分で運を引き寄せたと思います。紹介状を書いてもらっても、受診できるまでに時間がかかる人たちもいっぱいいるんだから。


職場復帰初日の挨拶がどうなったかというと・・・

普通に挨拶(私との練習はなんだったんだろう・・・)した後、みんなが向かい合って腕を握り合って、トンネルを作ってくれたらしい。


「え〜と・・・それ、花束を持って、お別れの挨拶をした人がくぐるトンネルじゃ・・・」


なんかね。想像していたのと全然違う反応でしたよ。我が妻の職場は。


次回は、このBlogの特徴でもある「お金」の話をします。

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