Joy耐2022いくらかかった? [JOY耐2022]
新入社員研修の時期ですよ。今年も。あっという間に。
今年の私の担当は、男女2名。
男性の方は・・・彼のお父さんをよく知ってる。私。
まあ、アレですよ。アレ。
子会社ですから。「親会社の偉いさんの子供」を受け入れなきゃいけない下地があるんです。
ただねえ・・・
彼が生まれてきた日。
私は彼のお父さんと仕事をしてた。大手自動車会社の工場の中で。
「今日、二人めが出てくるんだ。」
なんてことを・・・うんうん悩みまくっている最中に聞かされたことを覚えている。
後日、彼が上司から「なんでそんな大切なことを言わなかったんだ!」と目の前で怒られていたことも。
「いや、一人目の時もクレームで海外に行っていた時なんで。」って、全然反省してなかった。
あの頃、二人共、こんな日が来るなんて全く想像してなかった。
あの日、生まれてきた子が私の所属する会社に入社して、私の前に立つなんてね。
とにかくあの頃は、目の前の課題を片付けるのに必死で・・・
「技術的にできるのかどうかわからない。」という客先提示課題を・・・
なぜか「できない。」と思うことがなく、取り組んでいた。
まあ、時々、「解決できなかったらどうしよう・・・」って夢に出てきて、夜中に眠れなくなっていたことはあったけど。
目の前の若い二人は、私の授業を・・・まあ・・・聞いてる・・・かな。白目になってる。うん。夢の国に行ってる真っ最中。
「ねえ。コーヒーを飲みに外に出よう。」
「シラナイヒトニツイテイッチャイケナイッテイワレテマス。」(女性)
「え〜と、それはチミたちに子供ができたら、そう教えないといけないね。」
「オヤツアゲル。ッテ、イワレテモ、ツイテイッチャイケナイ。ッテ、イワレテイマス。ソウムノヒトカラ。」(男性)
「あ、う〜ん・・・変だよねえ。私が今日は、チミたちの先生。一体何を教えているの。うちの総務は。」
「ああ、そうだねえ・・・そんなこともあったね。」
「頭叩かれた人、その後、会社やめたって聞きました。」(女性)
「ああ、うん。そうだったねえ・・・まあ、彼の場合は・・・、あ、あそこの標語を3人で読もうか。目が覚めると思うぞ。せ〜の!」
「いざ、血反吐吐くまで働かん!フェラーリ買うその日まで!!」
よおお〜し。いい声だ。
「去年の彼はさあ・・・この標語を読めなかったんだよね。今の二人みたいに。その様子を見た時にさあ・・・”あ、ちょっとついてくるのが難しいかな。”とは思っていたんだ。まあ、大丈夫だよ。血反吐吐く前にまず、鼻血だから。”大人で鼻血が止まらないってなんだろう?”って時が、社会人になったってことさ。
手持ちのティッシュ全部使ってもさあ・・・ボタボタ止まらない時があるんだよ。」
「・・・・・」
「まあ、アレだ。チミも親の七光りで我が社にやってきたわけだけどさあ・・・うちのグループって、そんなに甘くないってことさ。うちの会社で社会人としてやっていけそうだなってなったら・・・世界に羽ばたいてくれ。ま、頑張れ。」
え〜と、本題。本題に行かないと。
そこっ!「ブラック?」とかって画面の前でブツブツ言わない!!
さて、決勝中にいろいろな問題が発生したけど、なんとか完走した2022年JOY耐。
まず、成績のまとめをしておきましょうか。
エントリー台数は、62台でした。これは、2011年からの私たちの参加記録の中で、最小の台数です。
(ちなみに初出走の2011年は、あの東日本大震災があった直後の開催)
エントリー62台のうち、公式予選出走は、61台でした。
この61台中、我々の出走クラスの「クラス2」は、7台でした。2021年からの減少台数の大部分が、このクラス2になります。
2021年までは、大会最大勢力に近い台数が毎年集まっていたわけですから。
私たちは、予選総合55位 クラス5位で予選を終えました。
決勝は、さらに出走台数が減少して、60台が出走。
完走扱いが51台。うち、チェッカーフラッグを受けることができたのは、83.3%50台という大会でした。
私たちは、総合47位 クラス4位でチェッカーフラッグを受けたのですが、決勝の最速ラップは、決勝出走60台中の60番目。すなわち、「大会出走車両で一番遅い車両」で7時間を走り抜いた形になりました。
そんな「大会で一番遅い車両」がかけた費用は、こんな感じになります。
合計63万356円かかりました。
ここ数年の傾向なのですが、「タイヤ代」をかけるようになりました。
今年は、全体の45%をタイヤ代が占めることになったのですが、予選時が雨で、ウエットタイヤを1セット使用したことが費用拡大の理由になっています。
これまでは、予選、決勝を通してドライ用6本で通してきたのですが、2019年の梅雨時の大会以降、「大会中に雨があり得る。」ということで、ドライ2セット、ウエット1セットを持ち込みました。
予選時にウエットタイヤで出走したのは、結果的に失敗だったのですが、(フロントタイヤが、破損しはじめるぐらい予選中に路面が乾いてしまった。)決勝は、2セット新品ドライタイヤを持ち込んでいたことに助けられました。
なにしろ、左リヤタイヤが次々に壊れてしまう事態になったので。
まあ、何が起きていたかは、次回の記事から。今回も記事が長くてごめん。
みんな、よく読んでくれました。ここまで。
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