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ピット無しでのリヤアクスル交換は、ものすごく大変です。 [ドラムブレーキが分解できない!]

いつの間にか・・・桜の時期も終わりましたね。今年、お花見できました?皆さん。


私は、4月半ばに青森に出張していました。

てっきり、「青森は・・・桜は・・・まだ早いか?」って感覚だったのに・・・大変だった。青森。

ローカル線に乗っていたら、車掌さんが頻繁に来るんですね。あの地域。

で、私の前を通り過ぎるたびに、車掌さんが私を凝視。左から来ても凝視。右から帰って来ても凝視。

「????な、なんだろう・・・・こんな終電近くにおっさんが乗ってるの、珍しいのかな?この車両。」

と私は思っていたのですが・・・

どうも、車掌さんの心の声は違ったらしい。

「あ、あんたあ・・・遠くから来たのか?来たんだね。その格好・・・青森・・・津軽海峡舐めきってるね。大丈夫か?ほんっとうに大丈夫か?その格好で、この夜更けに車外に出て。」ってことだったらしい。


車窓の外が真っ暗(本当に暗いんだってば。街灯があまり無いみたいで。)だったから、気がつかなかったけど・・


目的の駅に到着して、ホームに降りた瞬間!

きぃああ〜!!!

ひゅおお〜ごおおお〜!!!

突風と共に雪つぶて攻撃!!!

「目を目を覚ませえええ〜!寝ちゃダメだったあああ〜!!」って感じ。


すんごかった。青森。4月半ばなのに。街を走っている車、雪がへばりついてた。

怖いところだあ・・・津軽海峡。


え〜と、「青森は恐ろしいところ」の話、おしまい。本題行くよ。久々のEP82整備の話。

「ドラムブレーキを整備しようとしたら、全く外れなくなっていたよ。しょうがなく、リアアクスル全体を移植すすることにしたけど、まずは、ブッシュをタクミクラフトで作ってもらいました。」というところまでお話をしたんだった。


さて、いよいよリアアクスル全体の交換作業開始。

最初に言っておく。我々の経験からの重要なお知らせだよ。


用意しておいたほうがいいもの

1)「ウマ」4つ。

2)大きなジャッキ1つ。小さな(ローダウン用)ジャッキ2つを必ず事前に準備のこと

3)作業員は、少なくとも大人二人必要。

4)「叩く」ためのプラスチックハンマーを準備。

5)細めの長いボルト&ナットを1セット準備。

この5つを用意しないで取り掛かっちゃいけない。リヤアクスル交換作業。もう、ほんっとに大変だった。

「そもそも論で、ピットなり、リフトがなくて作業しようってことが間違いだろ?」とか突っ込まないで。みんな。「できる限り自分達でなんでもやってみる。」が我々の活動の流儀だからね。

我々の経験を(余計なことを書きながら)したためているこのBlogをよ〜く読んでから、胸に手を当てて考えるように。

「・・・・自分でやると・・・こんなに道具の準備と時間がかかるのか・・・じゃ、ショップさんに頼んだほうがいいんじゃね?」


はい、前に進むよ。前進あるのみ。


仮止め状態にしてあった「リヤドラムが外れなくなったリヤアクスル」の取り外し作業自体は簡単。

さて、車体の脇にこの新しいリヤアクスルを降ろして・・・・

IMG_1501.jpg
最初は、リヤシャフト真ん中にでかい油圧ジャッキを入れて、持ち上げれば簡単に取り付けられると思ったんだけど・・・
まず、リヤドラム脇でそれぞれのショックアブソーバーを引っ掛けて(留めて)・・・前方のボディとの連結部に取り掛かった・・・・もう、格闘。本当に時間がかかった。ここから先が。
真ん中をジャッキアップして、ショックアブソーバー取り付け部で、アクスル全体を引っ掛けた感じになったから、あとは大人二人の力で、前方の2本のアームを順番に持ち上げながらボディに結合できると思っていたんです。
全然ダメだった。車体の下に潜って、なんとか持ち上げようとしても、スペースが狭すぎた。
仕方がないので、それぞれのアームを2つの軽いジャッキで持ち上げて・・・なんとかボディ連結部の穴に通そうとするんだけど・・・

タクミクラフトさんで作ってくれたウレタンブッシュの寸法がピッチリすぎて、プラスチックハンマーで叩きまくって、なんとかボディに収容できた・・・と思ったら、シャフト貫通用の穴にうまく合わせ込めない。

ドライバーとかを穴に突っ込んで、なんとかコジってみるんだけど・・・とにかく純正ボルトを貫通させられない。


編み出した作業手順は・・・「片側のアームを細いボルト&ナットで、なんとか固定したあと、もう片方を純正ボルト&ナットで取り付ける。」作戦。

片側をなんとかぶら下げておけば、ユニット全体を大人二人で揺すりながら、純正ボルト&ナットが取り付けられることがわかった。


この作業に結局、丸一日。

途中、何回も挫折しそうになりました。

休みを入れながら、気を取り直して車体の下に潜ることを何回したか・・・

で、やっとこさリアアクスル全体をボディに結合できたから、この先はチャッチャと進むのかと思ったんだけど・・・

先は長かったよ。今日はここまで。


2017年Joy耐はエントリーしないことに決めました。 [筑波ツーリングカー3時間耐久2017]

だ〜いぶ悩みまくった「今年のJoy耐エントリーするのか?」問題。

結論を出したので、発表します。
「2017年Joy耐は、エントリーしない」

決定事項です。だいぶ悩みました。
メンバー5人全員の統一見解とはならなかった。

2016年までの規則であれば、今年もエントリー申請はしました。したはずです。準備は進めていましたし。
ただ・・・もう・・・本当に逡巡して・・・
「会社を休んでまで参加するメンバーがいるのに、”ひょっとしたら土曜日に帰らなければならない。”イベントを強行するのか?」

みんなが、土曜日の夕方にがっかりするようなことは・・・できない。
日曜日にスタート後1時間でリタイヤするのとは、意味が違うと思うんです。
みんなが期待に燃えて、一年に一度のイベントにスケジュール調整を行なって参加するのに(それぞれの職場の皆さんの協力があって、ツインリンクもてぎに集合することができていた。)「土曜日に帰る羽目になって、日曜日は、家でのんびりしていました。」これはない。

特にAE86レースの彼が残念がってしまって・・・
「この車両、予選遅いって言っても、ちゃんと予選レースは本大会出場のペースで走れるだろ?過去の予選結果何位だったっけ?」
「EP82なだけに、毎回だいたい総合82位だったよ。90台中の。後ろから9台め。」
「・・・・いやいやいやいや。大丈夫。俺たちだったら大丈夫だって。な?出ようぜ。Joy耐」
「う〜ん・・・」
何ループしたのかわからない。

Joy耐は、アマチュアドライバーの国内最高峰のレースです。
「そうかあ?スーパー耐久があるだろ?」
あ、う〜ん・・・あっちは、「アマチュアドライバーも」参加ができる耐久レースなんです。

Joy耐は、「プロの人たちも混ざって7時間走ってもいいよ。”今日、初めて公式戦に出場する。”ってメンバーもいる90台と一緒に走りたいのならね。」という世界。

2008年にエビス12h耐久に出場した時にコース脇にいた女の子に「自分達で車両を作って出ているんです。みんなでJoy耐にも出ます!」と言われた時・・・
「Joy耐ってなんだろう?こんな女の子が言うぐらいだから、すごい大会なんだろうな。」
そんなことしか思わなかった。

ピットに戻ってきて、みんなに「なんかあの速いEP82を走らせているチームの女の子、”JOY耐に出る。”とか言ってるよ。」と伝えたところ・・・
「ああ〜・・・そんなすごいチームなのか。じゃあ、かなうわけないよ。」という反応が返ってきたことを覚えてる。

「一回きりの耐久レース」のはずだったエビス12h耐久後、いつの間にかあの女の子が言っていた「Joy耐」に出場することが目標になった。
15年ぶりにモータスポーツの世界に戻って来た理由は、銀行員のオーナーの筑波走行の手伝いをするだけだったはずなのに。

日光耐久で「耐久レースの練習」を繰り返した後、2011年に自信満々でツインリンクもてぎにやってきて・・・
「俺たちだったら、こんな大会、すぐに結果を出してやるさ。」と思いながら出走した初のJoy耐は、想像もできなかった悲惨な結果に終わった。
(この時、ぶつかってしまった相手チームには、その後も繰り返し数年間に渡って、決勝走行中だけでなく、予選中も攻撃を受けることになった。スポーツマンシップに明らかに反する行為だったけど、彼らは”まともな競技車両も買えないような貧乏人”が混ざっていることが許せなかったらしい。)

2011年の土曜日夜に予備ミッションや、予備エンジンが闊歩するパドック裏を歩いていて、「あれ?アマチュアドライバーの大会って聞いていたけど、なんだか場違いなところに来ちゃったのか?」とは薄々感づいていたけど・・・

「Joy耐に出る!」という目標は、いつの間にか「Joy耐で、まずは完走する。」が目標になった。
2011年から2016年までの6シーズンの結果は・・・
エントリー4回
うち、決勝スタート後、1時間での撤収2回
7時間完走2回(どちらもクラス順位としては、ほぼ最下位。でも、あの繰り返し攻撃して来た外車チームよりは決勝順位は上でした。まあ・・・正義は必ず勝つ!ってことで。)

2016年は、初出場の年の仕様に近い(エンジンは完全ノーマル)状態に戻しての出場を目指していたけど、エントリーそのものができなった。
1年かけて、車両の準備に取り組んで来たけど・・・残念ながら、ここまでです。

「Joy耐に出場する」
目標は達成できたけど、決勝のグリッドにつけるようになってからも、どうしても何か・・・
「場違いな場所にいる。」
感覚を脱することができなかった。自動車産業に従事しているわけではないのに、車両のほぼ全てを自分達だけで組んでしまう連中が、こんな大きな大会の決勝グリッドにいるということ自体が・・・間違っていたのかも。

Joy耐は、やっぱり遠かった。

少し疲れました。
一時退却です。

公式戦ではない、気楽な大会で再び自分達の足場を確認しようと思います。
今年の6月4日に「筑波サーキットでの3時間耐久”走行会”」が初開催されるそうです。
以前、袖ヶ浦で見たような「”耐久レース風”走行会」ではないか?と想像しながらエントリーすることにしました。

この6月の大会を無事完走することができたら、ひょっとしたら秋の2.5h筑波耐久公式戦への道も開けるかもしれませんし。(それ以前に、秋の大会が本当に開催されるのか?ってところが問題なんだけど。)

次回から、再び、EP82のドラムブレーキ周りの話に戻ります。
「6月4日の大会に出る。」って決めたから、少々急がないとね。